Vol.2 誰もが愛さずにはいられない、永遠の定番曲 モーツァルト  「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
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クラシック音楽と聞くと、「難しい」とか「堅苦しい」とか「眠くなりそう…」なんて思ってしまう…。そんな方はいらっしゃいませんか。でも、今、日本は空前(!?)のクラシック・ブーム。クラシックの名曲を集めたCDや、クラシック音楽をテーマにしたコミックやTVドラマも大ヒットしています。そこで、もっと「気軽にクラシック」。
このコーナーでは、誰もが一度は耳にしたことがあるようなクラシックの名曲を毎回1曲とりあげ、その曲にまつわるさまざまなエピソードとともに、皆さんにご紹介していきます。
第2回にご紹介するのは、世界中で、そして特に日本で高い人気を誇るクラシック界の神童・モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」です。


誰もが愛さずにはいられない、永遠の定番曲
モーツァルト  「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
誰もが知る名曲は、
食事時のBGMだった!?

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。ドイツ語で「ひとつの小さなセレナード(夜曲)」と名づけられたこの曲は、まさに演奏会の定番曲。特に2006年はモーツァルト生誕250周年という記念すべき年で演奏会も例年以上に数多く開かれたため、コンサートホールで聞かれた方も多いのでは…。
もともと「セレナード」とは、当時の王侯貴族たちがお客様を招いて食事を楽しむときなどのために注文してつくらせた曲だとか。
音楽そのものを楽しむためにつくられた交響曲や協奏曲と比べ、親しみやすい曲が多いのは、そのような事情によるかもしれません。六から八楽章でつくられることが多かったため、四楽章構成のこの曲に「小さな」という表題が付けられたようです。モーツァルトは生涯13のセレナードをつくりましたが、最も有名なのが1787年につくられたこの曲でしょう。

有り余る才能をもって生まれた天才は、
人を楽しませるために曲を書いた。

タクト1756年ザルツブルグに生まれたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、5歳で作曲をはじめ6歳でピアノを弾きこなすなど、まさに神童と呼ばれるにふさわしい早熟ぶり。
父親は、そんな少年モーツァルトを連れ、ヨーロッパ中を旅して回りました。その合計日数は、8年以上にも及んだといわれています。そんな旅から旅の日々を過ごしたモーツァルトは、ドイツ語をはじめイタリア語やフランス語も自由に使いこなしていたようです。彼は旅先からよく手紙を書いていましたが、父にあてた手紙の中に、次のような有名な一説があります。「僕は詩を書くことができません。詩人ではないからです。僕は巧みに陰や光を描きだすことはできません。画家ではないからです。(中略)でも、音でならそれができます。僕は音楽家ですから」。
モーツァルトは「音楽はあくまでも人を楽しませるもの」だと考えていたようです。だからこそ、彼のつくった曲は、いたずらにその才能をひけらかすものではなく、現代を生きる私たちの心にもやさしくあたたかく響いてくるのかもしれません。

【モーツァルト(1756-1791)】

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年ザルツブルグで、七人兄弟の末っ子として生まれました。彼はオペラ(「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」など)、交響曲(「交響曲第41番《ジュピター》」など)をはじめ、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、宗教曲などあらゆるジャンルの曲を残しました。これはまさに彼が天才であるゆえん。例えばバッハにはオペラ作品はなく、ベートーヴェンのオペラ作品は1曲だけ。それもひどく苦労したといわれています。また、自筆の楽譜にははじめから1ヵ所も書き直しがなく清書されたもののようだった、その天才ぶりを物語るエピソードは数え切れません。